私の働き方の大きな問題点はそもそも遅く帰っている認識はないし、職場で必要とされているから問題ないと考えているところでしょう
その一方で、プライベートは犠牲になっていて、妻にも遅く帰っていると怒られる始末
月45時間という上限に関しては、年間を平均してクリアすればOKという解釈のため、毎日2時間残るのがギリギリであり、そこが普通になってしまいました
つまりは、定時ではなく、残業の定時を守るという感じ
といいつつも、土曜日のステルス勤務は内緒ですけども
これが当たり前になっていて、夕食を食べるのが普通に20時を過ぎますから、おかしなことなんです
これがおかしいと感じてしまった私は、いろいろと思い当たるものが多々あります
そもそも平日の放課後、ノー残業デー以外に私がいなければならない用事が毎週入っているんですよ
クラブ、進路指導、学級のこと

これらが私がいないと進まないんだから、私にどれだけ依存してんだよ!
私が倒れた瞬間にいろんなものがだめになる、だから倒れるわけにはいかない!
って、なっていて「ちょっと待て、なんでこんなことになってんだ!?」ってさすがにびびりました
結局、私自身が仕事に依存して、仕事を増やして、私がいないとできないようなことを私が主導してやっていたんですよね
ここに生徒たちが関わっているのですが、どれもすべて私の発案的な部分もあって生徒たちは受け身でした
進路のことだって、生徒自身のことなのに、なぜか私が毎週、場を持って「やろう!」みたいな形でやっていて、生徒が課題をやってこないこともしばしばなのに、生徒を励まして、来週はこれやってきてねっておかしい
クラブも似たようなところがありまして、考えると情けなくなってきました
自分で忙しくして、自分がいないと回らないような環境を作って、余裕のない生活を日々して、放課後の予定が済むと定時は軽く過ぎているってね

あとは自分の有能さを見せつけるために、あれこれと試みもやっていました
「こんなことをやったら面白い!」とか「これを変えるべき!」とかね
いいものをつくるためなら残業なんて当たり前じゃんって感覚ですよ
このとき、あれこれと考えて、ようやく・・・
自分で忙しくして、家庭を犠牲にしているって初めて気づいたわけです
教員の働き方改革ってこうやって無自覚だから進まないんでしょうね
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